茶道具 炭道具 紙釜敷き 檀紙 金重 奥村吉兵衛作 千家十職 表具師 紙釜敷 茶道

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サイズ:約縦14.8×横18.6×厚み3.8cm
作者:奥村吉兵衛作(千家十職 表具師)
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【11代 吉兵衛】1901年明治34年〜
 10代 吉次郎の長男
 12代 吉兵衛
 11代 吉兵衛の子息
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【奥村家】
佐々木氏の末裔を称し、近江国北部の「谷の庄」なるところの郷士であったとされる。
奥村三郎定道の代、姉川の戦いの後、主家浅井氏が滅亡して浪人となる。
定道の息子・奥村源六郎定次は長男・源子郎を前田利家に仕官させ、長男は後に「奥村摂津守定光」を名乗り加賀藩士となる。
次男・吉右衛門清定は仕官せず、母方の家業を継いで商人となり京にて表具屋となる。
この清定が初代とされる。
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・千家十職とは…茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある)
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箱:木箱
備考:在庫ありの場合(注文日〜3日以内の発送可能)


釜敷(かましき)とは

亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、火から釜を下ろしたときに、釜の下に敷くものです。
釜置(かまおき)ともいいます。
藤・籐・竹・竹皮・紙縒・糸組(紐)などを編んで作った「組釜敷」、奉書・檀紙・美濃紙など二十枚から四十八枚を一束として四つ折りにした「紙釜敷」、竹の節を輪切りにした「竹釜敷」、水屋用の桐の「板釜敷」などがあります。
武野紹鴎が唐臼のヘダテを見て、籐(とう)で編んだ物が始まりといいます。
籐を編んだ唐物、または唐物編みにした物が基本形ですが「紐組」や「円座」と呼ばれるちょうど「腰掛待合」に使用する円座を小さくした物のような物などもあります。
紙釜敷は、千利休が懐紙を用いたのが始まりで、真の位の釜敷とされ、席中には炭斗に入れず懐中して出ます。のちに奉書・檀紙などや箔押など好まれるようになります。
炭点前を略す場合は、これに香合を載せて床に荘っておく。
竹釜敷は、千宗旦が花入を切った残りの竹で作ったもので、大きな竹の節の部分を輪切りにしたものです。
板釜敷は、厚3分、5寸角板の四方を切り、中央に1寸の穴を空けた桐の板で、水屋用で、箱炭斗に組んで席中に持ち出します。


千家十職とは

茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある)


【奥村吉兵衛】
【奥村家】
佐々木氏の末裔を称し、近江国北部の「谷の庄」なるところの郷士であったとされる。
奥村三郎定道の代、姉川の戦いの後、主家浅井氏が滅亡して浪人となる。
定道の息子・奥村源六郎定次は長男・源子郎を前田利家に仕官させ、長男は後に「奥村摂津守定光」を名乗り加賀藩士となる。
次男・吉右衛門清定は仕官せず、母方の家業を継いで商人となり京にて表具屋となる。
この清定が初代とされる。
【初代 吉右衛門】1618年元和4年〜1700年元禄13年9月
 諱「清定」、出家後法名「宗勢」
1646年正保03年 上洛、武士から商人に転業
1654年承応03年 表具屋業を開業、屋号「近江屋吉兵衛」を名乗る。
 妻は売茶翁の友人で能書家として知られた亀田窮楽の伯母
 現在も奥村家の玄関にかかる「表具師」ののれんの揮毫はこの窮楽の筆による物とされる
【2代 吉兵衛】 1633年〜1719年享保04年12月
 号「休意」
 初代の長男
1698年元禄11年 表千家 6代 覚々斎の取りなしにより紀州徳川家御用達、また表千家御用達となり、家運興隆の基礎を作る
 その後数代に渡り男子が夭折し跡取りに恵まれず、代々婿養子を郷里の北近江より迎える事態となる
 その中の1人、6代 吉兵衛は奥村家の功績をまとめるために調査を重ね、家系図はもちろん、歴代の表具作成の記録などを文書化する
 吉九郎 2代 吉兵衛の長男
 25歳にて早世
【3代 吉兵衛】1666年〜1743年寛保03年03月
 出家後法号「休誠」。近江国浅井郡馬渡村の松山家の出身
 2代 吉兵衛の婿養子
 狂歌の作者、能書家として知られる
【4代 吉五郎】1737年〜1781年天明元年11月
 近江国伊香郡高月村の田辺家出身
 3代 吉兵衛の婿養子
 法名「道順」
【5代 吉兵衛】1755年〜1825年文政08年08月
 出家後法号「了誠」
 近江国伊香郡高月村の松井家出身
 3代 吉兵衛の婿養子
1788年天明08年 天明の大火に遭遇、家伝などの一切を消失
 三千家合作の三幅対として有名な土佐光孚筆の絵のうち、表千家 了々斎(宝珠)、裏千家・認得斎(小槌)の2作の賛を得て、表装を行う
【6代 吉兵衛】1780年〜1848年嘉永元年08月
 号「休栄」
 近江国伊香郡高月村の宮部家の出身、4代 吉五郎の婿養子
 史料編纂に興味を持ち、天明の大火で失った家伝の再編纂を決意、「奥村家系図」、「千家御好表具并諸色寸法控」乾巻・坤巻を著し、茶道具の様式や、茶会のルールなど、貴重な資料を後世に伝える功績を残す
【7代 吉次郎】1795年〜1837年天保08年09月
 号「休音」
 6代 吉兵衛の婿養子
 義父に先立って死去
【8代 吉兵衛】1804年〜1867年慶応03年07月
 号「てい所」、「鶴心堂」
 歴代の中でも最も名手といわれる一方、国学、儒学に通じ、尊皇攘夷派の学者や志士と深く交わりを持った人物である。
 しかし、皮肉にも明治維新後の文明開化により茶道が衰退、奥村家は大ダメージを受ける。
 当人は学問の方に興味があり、後に彦根藩家老となった岡本黄石を師として儒学を学び、その紹介により梁川星巌、紅蘭夫妻と親交を結ぶ。後に出家し「蒿庵」と号する
【9代 吉兵衛】1840年〜1908年明治41年11月
 名「義道」
 8代 吉兵衛の長男
 小川町上立売(現京都市上京区)から、現在奥村家のある釜座通夷川(現京都市中京区)へ転居
 この困難な時代に名跡を継ぎ、奥村家の建て直しに成功、現在に至る。
1882年明治15年 「三千家合作の三幅対」のうち未完であった「天秤計り」に武者小路千家・一指斎の賛を頂戴し、発起より60年後に完成させる。
【10代 吉次郎】1869年明治02年05月〜1944年昭和19年09月
 9代 吉兵衛の長男
【11代 吉兵衛】1901年明治34年〜
 10代 吉次郎の長男
 12代 吉兵衛
 11代 吉兵衛の子息

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サイズ:約縦14.8×横18.6×厚み3.8cm
作者:奥村吉兵衛作(千家十職 表具師)
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【11代 吉兵衛】1901年明治34年〜
 10代 吉次郎の長男
 12代 吉兵衛
 11代 吉兵衛の子息
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【奥村家】
佐々木氏の末裔を称し、近江国北部の「谷の庄」なるところの郷士であったとされる。
奥村三郎定道の代、姉川の戦いの後、主家浅井氏が滅亡して浪人となる。
定道の息子・奥村源六郎定次は長男・源子郎を前田利家に仕官させ、長男は後に「奥村摂津守定光」を名乗り加賀藩士となる。
次男・吉右衛門清定は仕官せず、母方の家業を継いで商人となり京にて表具屋となる。
この清定が初代とされる。
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・千家十職とは…茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある)
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箱:木箱
備考:在庫ありの場合(注文日〜3日以内の発送可能)",

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